不完全であるということ
オンライン担当の西出です。
ということで。
私たちの新しい事務所兼動画を撮影するところに置いてある杉のトレイや欅の木なんですが。
決して敢えて不完全なものを選んでいるわけではないんですが
プロダクトとして不完全を良しとすることで、完璧に整えられた洋服や空間の中で静かに主張するといいますか、寛容性、そしてイチローさんの様に完全を目指すため、前に進むためのモチベーションになるということかと。
人間として完成されていないということと、人間が生み出すプロダクトが完成されていないことの意味はまた違うものになりますが、共通する部分もあると思います。
完璧主義者に見える人ほど不完全な状態をエネルギーに変えているのかもしれません。
不完全であることこそが自然であり、自然であること自体がすでに完成されているともいえます。
とはいえ不完全を受け入れて何もしないというのも違いますので、どこまで完全に近づけられるかが人生における一つの大きな課題かもしれませんね。
ということはですね、サグラダファミリアは完成するまでの期間こそが一番芸術的であり、わざと完成させていない、常に建造中にしているといえるかもしれません・・・。
(14年前の写真ですが 汗)